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個展「勘違いの記録」開催のお知らせ

  • 執筆者の写真: Shiori ICHIKAWA
    Shiori ICHIKAWA
  • 7月10日
  • 読了時間: 5分

暑いですね〜!

みなさま体調崩されずお過ごしでしょうか。

市川詩織です。


さて、今月7月12日(土)より、神保町のギャラリーそうめい堂にて、個展「勘違いの記録」が開催されますので、お知らせいたします。

そうめい堂では3回目の個展となります。



この記事の内容

・展覧会概要

・この展覧会で伝えたいこと


展覧会概要


市川詩織 個展「勘違いの記録」

ギャラリーそうめい堂は、市川詩織の個展「勘違いの記録」を開催いたします。

市川は、人間の周りで苦労する生き物を描くことで、人間社会が持つ問題について、客観的な視点と愛情をもって鑑みようと試みてきました。

人間社会についての作品を制作する為に、人間をあえて描かない手法を選んだ理由を、市川は以下のように語ります。


「生き物たちの生活を観察する時、私達は彼らの仕草と眼差しに対して何か意味を求めます。彼らと私達は感じ方の構造も違うし、彼らは言語を持っていないので、その答えを教えてくれることはこの先無いというのに。ですが、私達はその行動をやめられず、また、ある種の愛情を持って彼らの心情をくみ取ろうとしていることは確かです。言語や文化、宗教を越えた、人間全てに共通するものとはどういうものなのだろうと日々考えます。私たちと世界の感じ方の異なる彼らの心情をくみ取ろうとする時のあの感覚は、きっとこの世界を良くする一つの突破口になるのではないかと思うのです。」


「勘違いの記録」と題された本展では、グルメなゴキブリ、相手を疑りつつ求愛ダンスをやめられない蝶など、偶然目にした光景を「あれはこういうことだったのもしれない」と作家なりに汲み取り描いた「勘違い」の数々が絵画と版画となって並びます。

ぜひ楽しくご高覧下さい。


(メインビジュアル作品: 「抱き上げの法則-1: 無のハト」 2025年 紙にシルクスクリーン 25.3 × 20.3 cm)


特設サイト


 ※会期中、展示作品をこちらのページで同時公開・販売いたします。


アーティスト

 市川 詩織(いちかわ しおり)


会場

 ギャラリーそうめい堂

 〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-8 山田ビル7F


会期

 2025年7月12日(土) - 26日(土)

 11:00 - 18:30

 ※日・月・祝日 休


展示作品の一部↓




この展覧会で伝えたいこと


今回の展覧会は、「勘違い」、つまり、私のとても個人的な体験や想像(妄想?)を集めたものです。

それはとても主観的な世界の見え方であって、見る人にとっては正解ではありません。

私は、「これが正しいのだ」と言いたいわけではなく、人間以外の生き物たちの生活や、営みを一緒に想像してもらう過程の中で、自分の世界の外に置かれていた存在について、思いを巡らす機会になれば最高だなと思っています。例えば、害虫と呼ばれるゴキブリであったり、モブの極みのようなハトであったり、視界の端に実は映り込んでいた蝶のような存在です。自分の世界の外にあったものについて知ろうとした途端、それらがこの世界で一緒に暮らしていたことを思い出します。初夏の空き地を見れば蝶が驚くほどたくさん飛んでいることに気づきます。蜘蛛が同じ時間に物陰から出てパトロールしている疑惑を浮かび上がらせます。ハトにも性格の差があることに驚きます。それぞれに世界があって、それは尊重されるべき大切なものです。


こんなことを言うのは、やはり最近混迷を極める世界情勢について、日々考えることが多いからかもしれません。

戦争や虐殺、差別など、もちろんなくなってほしいというのが一番の願いですが、同時に、絵を描く一庶民には、何もできないのが現実です。

私はイラン人の知り合いも、ウクライナ人の知り合いもいますが、日本に暮らす一庶民の自分にとって、戦争を起こすような政治の中心の人々はどうしても遠い存在であって、戦争を反対することはもちろんできるけれど、糾弾や怒りに対して、戦争を起こしている人々が本当に耳を傾けるかというと、それはとても難しい道のりに思えて、あまりに絶望的で...。自分ができることは、他にあるのではないかなと考える日々です。


ソ連やナチの大虐殺を招いた「全体主義」の恐ろしさについて、ハンナ・アーレントが語っていますが、彼女がいう全体主義の恐ろしさとは、国家のイデオロギーの名の下に個が消し去られること、そして、あのような恐ろしいことを人間が起こしてしまうことを明らかにしたという事実でした。

日本で生きる私たちにとって、戦争はまだ遠くにあることです。私たちはまだ戦争について反対をしていますが、「日本人を尊重すべきだ」という民族的優位性の主張に賛同する人がある程度出てきたことや、個の思想の違いを受け入れずにただ叩くことがSNSで見られることから、近づいてきてはいるのだなという感覚はあります。

この国は現在戦争や虐殺をしているわけではありませんが、もう身近であのような言動が見られる点で、いつ自分が、自分の国が、加害者になるかわからないし、日本人ではない者が悪だと言ってその尊厳を傷つけてしまうかわからない。いつでもどこでも、それは起こるのです。家の中でも、学校や会社の中でも、「わからない」ものを「悪」として排除しようとしてしまったら、それは同じことで、それを認識しておかないとならないと思う毎日です。だって、それを繰り返してきたのが人間なのですから。


私は展示をするたびに、アウシュビッツを訪問した際にガイドであった、中谷さんが話していたことを思い出します。

「これは、ヒトラーという一人の人間が起こしたことではないので、だからここにはヒトラーの写真はありません。多くの賛同者がいたから起こったのです。」


私は日本に帰ってきてからこの言葉に何度も励まされました。平和を望むならば、トップを変えるだけではだめなのです。自分の身近なところにアプローチすることが、私ができることだと思います。

私は、糾弾ではなくて、全体主義の逆の方法で、この世界と対峙したいと思っています。自分が間違える可能性を常に意識しながら、それでも共感をやめない姿勢を貫きたいと思います。人を排除する人間の側面がプロパガンダによって広げられるなら、人間のもう一つの一面である、他の価値観への共感の試みを呼び起こし、それをしている時のあの穏やかな、少し嬉しい気持ちも広げられるはずです。


絵を描いている人、絵を見るのが好きな人、どうか何も変えられないと諦めずに、一緒にそれを広げていきましょう。


ではまた。


市川

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