企画展「Made in Art」参加のお知らせと小話
- Shiori ICHIKAWA

- 2 日前
- 読了時間: 5分
ようやく冬がやってきて、制作中手が強張る季節になってきました。
作家の市川詩織です。
この秋は着々と物事を進めてきたという感じがして、心は常に何かでいっぱいでしたが、いろいろ動き出したものもあって楽しく過ごしていました。
大きな変化としては、今の家で猫が飼えることになり、実家のオト、イネのうちイネだけうちに連れてくることになりました。

オトとイネは兄弟で、2016年に保護されてうちにやってきました。
初めは仲が良かったのですが、最近ちょっと喧嘩も多くて、イネは少し過敏な性格なこともあって、心配していました。
オトはイネに遊びでじゃれつくのですが、イネはあまりそれが好きではないようで。イネは私になついていることもあり、一度うちに連れてきて、2者の様子を見てみようということになりました。
猫がいる生活は久々ですが、あたたかく迎えて愛情を注ぎたいと思います。
「オトイネは元気?」と聞いてくれる方も多いので、ちょっとした報告でした。
さて、本題の展覧会のお知らせです。


Made in Art.
2025年12月6日(土)〜2026年1月12日(月)
※月曜日はお休み
10:00-18:00
藝大アートプラザ
(〒110-8714 東京都台東区上野公園12-8
東京藝術大学美術学部構内)
(メインビジュアルは岩田駿一さん)
私は、前回参加した「小さいアート」という企画展と同様、F0号の作品を4点展示します。
展示予定作品は以下の4点です。(絵が小さいので合わせて小さい虫を描きました)
「知的滞在者」(ゴキブリ)、「霊視能力の噂」(ゴキブリ)、「B型好きの友達」(蚊)、「唇が腫れるなんて」(蚊)です。
個人的に、幽霊のゴキブリと唇が腫れた蚊の顔が好き。ふふふと笑いながら描きました。
参加人数が多いので在廊はできませんが、SNSやメッセージで感想などいただければ小躍りしながら楽しく拝見いたします。
小話(アクリルガッシュについて)
先日、アクリルガッシュについてSNSで論争が起こっているのを見ました。
私が使っているのは、まさに渦中のアクリルガッシュそのものです。
論争の内容としては、アクリル絵の具とアクリルガッシュは別物という前提のもと、ガッシュは作品には適さないというものでした。ガッシュでずっと制作をしている身として、頷ける部分もあり、それは言い過ぎだと思える部分もあり、でも議論があることはとても良いことだとも思いました。
私の作品を持っていてくれる方にとっては、心配な部分も多いと思いますので、私なりの考えを書いておこうと思います。
ガッシュは耐久性が低いのか
私は版画もペインティングも、いずれもガッシュを使ってきましたので、使っている所感でお話しすると、顔料の割合が多いという点では、確かにアクリル絵の具や油絵具に加えて耐久性(画面への食いつき)については低いというのは感じます。
ただ、私の場合下地を整え、薄め液には水ではなくメディウムのみを使用している+見た目よりだいぶ薄塗りなので、画面への食いつきはしっかり感じています。10年ほどは画面が割れたりしたことは幸いありません。
耐久性の低さについて、画面の割れについてがメインのトピックでしたが、厚塗りですと、クラッキングの技法があるくらいなので割れる可能性は高いと思いますが、薄塗りだと、まだアクリルガッシュができてからそんなに時間が経ってないので、なんともわからないのではないかなと思います。
個人的にガッシュの好きなところ
まず、顔料(色の粉みたいなもの)がたくさん入っているので、とても発色が鮮やかであること、そして、不透明でマットな表面を出せることです。展示を見にきてくれた人からよく言われる、色がスマホ画面で見ていたより鮮やかだ。という感想は、きっとここに由来しています。
マットであることは、私のような細かい絵を描く人間にとっても結構助けになります。小さいモチーフの絵は近づいてみることになると思いますが、そういう時にマットだとしっかり細部まで見えるのです。光沢があると、反射が混ざり、結構見づらいと思います。虫を観察する時、グッと近くに寄り観察すると思いますが、それに近い感覚を味わってほしいので、ガッシュにはそこで助けられています。
ガッシュは作品に適さないのか
これについては、文脈によって変わると思っています。
私の気持ちとしては、作品に適す絵の具というもの自体人によって様々だと思いますので、それはみんな好きにしたらOKと思います。
長期保存に適応させる意義
私自身古美術のフィールドで10年ほど働いていたので、耐久性の高い素材を選ぶ大切さも理解できます。
というのも、200年ほど前の浮世絵と、50年ほど前の近代版画・絵画が現在出回っていて、近代の方が状態が悪いことも多いのです。近代〜現代では素材が様々ですし、フィルムなど新しい素材もたくさん使われているので、黄変・酸化などで状態がかなり悪くなっているものもたくさんありました。一方浮世絵は、かなりの年月が経っているにも関わらず、本当に綺麗なまま残っているものが多いです。実際に見ると、綺麗なものはやはりその作品の良さを引き立てているように思えました。
ただ、それはセカンダリーとして世に出回った後の出来事であり、作家がそこまでの価値を鑑みて作品を制作する必要があるのかは、そもそも文脈が分かれると思います。価値にフォーカスするのか、作品の中身にフォーカスするのか、それによってそれぞれの見方があるのではないかと思います。
作品の劣化は悪なのか
私の個人的な意見ではありますが、劣化はそこまで悪いことではないとは思います。
私は諸行無常的な考え方の人間なので、劣化は私の肉体と同じように自然なことと考えます。誰かの手元に作品があるなら、その人と共に作品も変化し、その変化がまた新しい側面・気づきを与えることも多いのではないかと思うのです。私は山田珠子さんの作品を家に持っているのですが、山田さんの作品は一度土に埋められ、虫や微生物によって食べられたものです。きっと作品は私と共にまた歳を重ね、穴が空いたり、崩れ落ちたりするでしょう。私は山田さんの作品を壁に置いた時、それがとても嬉しいと感じました。
小話といいつつ、長くなってしまいましたが、これが私の気持ちです。
ではでは、また次回。
市川詩織














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