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執筆者の写真Shiori ICHIKAWA

Art Fair GINZA tagboat×MITSUKOSHI のお礼と作品の話

今月頭に開催されていたArt Fair GINZA tagboat×MITSUKOSHIは、無事会期が終了しました。

今回は在廊をしない選択をしましたが、お越しいただいた方に個人的に感想をいただいたりしてとてもありがたく思っています。

(DMなどの紙媒体がない展示でした。今回DMが届かなかったと思った方、ごめんなさい!)



展示の様子
展示の様子

実は、最近はあまり在廊をしないようにしています。

最低限の状況の情報はタイトルで示し、あとは見る人に委ねたいという気持ちからです。委ねると言っても、丸投げをするわけではなく、鑑賞者の中(今は日本の鑑賞者の中)にある共通の認識(今の時代を生きる人たちの中でおおよその人が感じたことがある物事、体験)によって、伝わるものを信じるようになったからかもしれません。数年前まで、私が細かに説明しないといけないと思っていたけれど、そんなことはないし、それは私が出した答えであって、その人の答えではないかもしれない...

私は作品のことになるとよくしゃべってしまうので、それはよくないなと思い、少し控えています。

こういった限られた人が見るところで、読みたい人が読んでくれるくらいがいいのかな、とも思い。


ー作品についてー

今回展示した作品はミミズ、ダニ、クモ、ムカデ、蚊...と、いわゆる害虫と呼ばれてしまっている生き物たちの絵のみでした。

彼らの世界や感じ方・見方は私たち人間とは大きく異なり、彼らにわたしたちと同じような感情や感覚、認識能力があることを人間と同じ型にはめることは「擬人化の罠」と表現されます。「彼らにはそれらがない、何かの刺激に反応するだけのロボットのような存在だ」という考え方もあります。私たち人間の感覚を、構造が違う彼らに押し付けるべきではない、という主張です。


それは当たり前で、彼ら小さな生き物は、確かに何も感じていないかもしれない。悪口を言われたって、殺されたって。でも、彼らは私たちに真実を教えてくれることはありません。彼らは伝える手段がないのだから、本当のところは人間には永遠にわからない。もし仮に彼らが伝える手段を持っていたとしても、それは生の言語ではありません。何かに翻訳されている間接的なものです。その感覚を深く理解するには、相手について寄り添う心をもって学ぶ必要があります。


それは人間同士にも言えていて、昨今の人々の分断、争いを見ているときに感じられることでもあります。「彼らはそういう民族・文化なんだ」「頭がおかしいんだ」「変だ」「常識知らずだ」

そういった言葉について、日々考えます。

こちらとあちらは人間のつくりが違う、とも解釈できるような極端な言葉選びは、相手を傷つけたり「自分達は普通の人とちがうのだろうか」という劣等感を覚えさせるようなものばかりです。

人間が相手ならば、相手はそれを受け取ってしまう可能性があるのに。


その人物が生まれ育った地域の文化、宗教、環境(肉体、病気、気候などざまざまな環境)によって、それぞれが見ている世界は違うものです。私も、違う環境の中で生きていたら今とはまったく違う人間になっていたことでしょう。自分がもし、他の環境で生きてきたのならどういうふうに世界が見えるだろうかと、寄り添って考えること。それを忘れてはいけないと思うのです。


擬人化をしているのはきっと、今まで全く分かり合えないと思っていた彼らの隣に座るためだと思います。それで何かが解決するわけではないとも思います。でも、そうやって寄り添うことは、続けてみたいと深く思います。


ー次回の展示についてー

次回の展示は、現在勤務しているギャラリーそうめい堂で個展を予定しています。

2023年の1月末です。


それでは、また!






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